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東京高等裁判所 昭和48年(ラ)778号 決定

昭四八(ラ)七七八号事件抗告人、同七八三号事件相手方

中部久雄 外一名

昭四八(ラ)七八三号事件相手方

中部クミ

昭四八(ラ)七八三号事件抗告人、同七七八号事件相手方

上坂はま子 外一名

主文

原審判を取消す。

本件を東京家庭裁判所に差戻す。

理由

(以下、昭和四八年(ラ)第七七八号事件抗告人・同年(ラ)第七八三号事件相手方中部久雄を「久雄」と、同板谷良子を「良子」と、昭和四八年(ラ)第七八三号事件相手方中部クミを「クミ」と、昭和四八年(ラ)第七八三号事件抗告人・同年(ラ)第七七八号事件相手方上坂はま子を「はま子」と、同上坂登志子を「登志子」とそれぞれ略称する。)

一  久雄及び良子の遺産分割請求について

久雄及び良子の申立てにかかる本件遺産分割請求は、久雄が上坂次雄(昭和三〇年一二月九日以降中部次雄と改氏、昭和三七年一〇月一二日死亡、以下、「次雄」と略称する。)とクミとの長男であり、良子が次雄の養女であり、従つて、いずれも次雄の相続人であることを前提要件とするものであるところ、次雄の他の相続人であるはま子及び登志子(同人らが次雄の相続人であることは、本件記録上明らかであり、かつ、争いがない。)は、右前提要件の存在を争つているので、まず、その点について検討する。

確かに、一件記録中の久雄及び良子の戸籍謄本によれば、久雄については、同人が次雄とクミとの長男として昭和二九年七月三日世田谷区○○町×丁目×××番地(本件記録によれば、同所は次雄の当時の住所であつたことが認められる。)で出生したとの届出が、昭和三三年三月六日受付で次雄によつてなされた旨の戸籍上の記載があり、また、良子については、同人が次雄の養子となる縁組の届出が、昭和三四年三月四日受付で次雄及びクミ(良子の母で当時の親権者)によつてなされた旨の戸籍上の記載のあることがそれぞれ認められる。

しかしながら、戸籍上の記載は一応の事実上の推定力を有するにすぎないから、反証によつてその推定を覆しうるものである。ところで、原審におけるはま子の陳述によれば、次雄は、その生前しばしばはま子や近隣の者に対し、久雄が自己の子であることを強く否定するとともに、良子との養子縁組の届出をしたこともない旨述べていた事実のあることが窺われる。しかも、一件記録によれば、右のような各届出は、当事者がしようとすれば、次雄とクミとが婚姻の届出をした昭和三〇年一二月九日以降いつでもすることが可能であつたのにかかわらず、右各届出はいずれも、同月八日になされた次雄とはま子との協議離婚の届出の効力を、はま子が東京家庭裁判所における調停事件ないし東京地方裁判所における訴訟事件として抗争するようになつた後にはじめてなされたものであることが認められるから、その届出の時機自体から見ても、それらの届出は甚だ不自然なものであるとの疑いの生じるのを禁じえない。しかるに、一件記録を精査しても、右各届出のなされた経緯は全く不明であり、その届出が次雄の意思に基づいてなされたものであるか否かは遂に明らかでない。

更に特に久雄については、同人が次雄との間で民法第七七二条所定の嫡出性の推定を受けえないものであることは、同人に関する戸籍上の記載から明らかであるのみならず、原審におけるクミの陳述によれば、久雄は実際には昭和二七年七月三日(戸籍上の生年月日よりも二年も前)に国立○○○○病院(同病院の所在地が目黒区○○○であることは、公知の事実である。)で出生したというのであるから、もしクミの右陳述が真実であるとすれば、久雄に関する前記出生届出は、虚偽の出生証明書を添付することにより、出生の日時及び場所を全く偽つてなされたものであるといわざるをえない。そして、このような全く虚偽の出生届出をするについては何らかの特別の事情がなければならないと考えられるところ、右届出につきどのような事情があつたかについては、納得すべき証拠は提出されていない。なお、原審におけるクミ及びはま子の各陳述によれば、久雄の懐胎ないし出生の当時、クミは杉並区○○○に、次雄は世田谷区○○○にそれぞれ居住していたものであつて、同人らは、情交関係はあつたものの、同棲していたわけではないことも認められる。

そこで、以上の事実関係に基づいて考案すると、久雄及び良子に関する前記各届出が果して次雄の意思に基づいてなされたものであるか否か、また、次雄と久雄との間に真実の父子関係があるか否かについては、かなりの疑問があり、この疑問が解明されない限り、前記の戸籍上の記載のみから直ちに次雄と久雄及び次雄と良子との間にそれぞれ右記載のとおりの父子関係があり、従つて、久雄及び良子が次雄の相続人であると推定することは問題であるといわなければならない。しかるに、原審においては、いまだ右疑問を解明するに足りる証拠調べはなされていない。

二  クミの財産分与請求について

クミの申立てにかかる本件財産分与請求は、次雄の死亡後に確定した同人との間の婚姻(重婚)の取消を理由として、次雄の相続人に対してなされたものであるところ、一般に右のように夫婦の一方の死亡後に婚姻の取消が確定した場合において、死亡配偶者の相続人が相続の効果として生存配偶者に対し財産分与の義務を負うか否かについても問題がないわけではない。しかし、右問題についての検討は暫く措き、仮にこれを肯定することができるとしても、死亡配偶者の相続人が生存配偶者に対して負う右財産分与義務は、その内容が全く未確定の状態にある義務にすぎないから、その義務は、その内容が確定するまでは、相続人全員に合有的に帰属すべきものと解するのが相当であり、従つて、生存配偶者は、死亡配偶者の相続人全員を相手方として財産分与の請求をなすべきであり、その相続人の一部のみを相手方としてなされた財産分与請求は不適法であるといわざるをえない。

ところが、クミは、次雄の相続人ははま子、登志子、久雄及び良子の四名であると主張しながら、そのうちのはま子及び登志子の二名のみを相手方として本件財産分与請求をしているにすぎないから、次雄の相続人に関するクミの右主張が正しいものであるとすれば、本件財産分与請求は、その相手方とすべき者の一部を欠落してなされたものというべきであつて、それだけで不適法になるといわなければならない。

しかしながら、前記一で述べたとおり、久雄及び良子の両名に関しては、同人らが次雄の相続人であるか否かについて疑問がないわけではないから、もし右両名が次雄の相続人でないとされた場合には、本件財産分与請求も適法になる余地があるというべきである。しかし、右の疑問の解明については、前記一で述べたとおり、いまだ十分な審理がなされていない。

三  結論

以上のとおりであつて、原審判は、本件遺産分割請求についても、また、本件財産分与請求についても、その各適法要件の存否の判断において審理不尽の違法をおかしているといわざるをえない。従つて、原審判は、その余の点について検討するまでもなく、取消を免れず、そして、本件(本件遺産分割請求及び本件財産分与請求の両事件を含む。)については、更に審理を尽させるため、これを原審に差戻すのが相当である。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 川上泉 裁判官 奥村長生 橘勝治)

〔参照〕 原審(東京家 昭四三(家)四一一二、四一一三号 昭四八・一一・二四審判)

主文

一 (一) 相手方両名は共同して申立人中部クミに対し財産分与として金六〇万円を支払うべし。

(二) 別紙遺産目録のうち五の有体動産は財産分与として申立人中部クミに取得させる。

二 (一)

(イ) 別紙遺産目録の一の借地権のうち図面ABEFAの各点を直線により結ぶ線を以て囲む土地の借地権並びに同目録の二及び三の建物は相手方上坂はま子、同登志子の共有(各共有持分はま子五分の三

、登志子五分の二)による取得、

(ロ) 目録のうち四の電話加入権は相手方はま子の取得、

(ハ) 目録一の借地権のうち図面BCDEBの各点を直線により結ぶ線を以て囲む土地の借地権は申立人中部久雄、同板谷良子の共有(持分各二分の一)による取得とする。

(二) 申立人中部久雄、同板谷良子は共同して相手方らに対し清算金として金四九万九三七七円を支払うべし。

(三) 相手方ら両名は申立人中部久雄、同板谷良子に対し目録二の建物のうち前記(一)(ハ)の土地上に存する部分を収去せよ。

(四) 申立人らは相手方らに対し目録のうち三の建物を明渡すべし。

理由

一 (申立人中部クミの申立)

申立人中部クミは、相手方らから同申立人に対し財産分与として金一〇〇万円を支払うべしとの審判を求めた。その理由は次のとおりである。

中部クミは昭和三〇年一二月九日上坂次雄と妻の氏を称する婚姻届出をして結婚した。これより先上坂次雄は大正一三年四月三〇日相手方はま子と婿養子縁組婚姻し、相手方上坂登志子はその間に出生した子であるが、次雄とはま子は昭和三〇年一二月八日届出により協議離婚したものであつたところ、はま子は次雄を相手方として右協議離婚無効確認の訴を提起し(東京地裁昭和三二年(タ)第一五四号)、これに対し次雄ははま子を相手方として予備的に離婚請求の反訴を提起し(同地裁同三五年(タ)第八八号)、右事件につき同三七年一〇月二日本訴並びに予備的反訴何れも認容の判決があつたところ、次雄は同月二一日死亡し、右協議離婚無効確認(本訴)の部分は同月一九日確定したが、離婚請求認容部分(予備的反訴)についてはま子は控訴し(東京高裁同三七年(ネ)第二三六四号)たものの次雄の前記死亡により訴訟は終了した。そこではま子は申立人中部クミを相手方として、次雄と重婚であるとして、婚姻取消の訴を提起し(同三八年(タ)第三四九号)、同三九年一月三〇日右請求認容の第一審判決があり、ついでこの判決に対する中部クミの控訴(東京高裁に繋属)は棄却され、右第一審判決は同四〇年一二月二五日確定した。従つて中部クミと次雄との婚姻は取消により終了したところ、前記のとおり次雄は死亡したので同人の相続人である相手方両名に対し民法第七四九条第七六八条により財産分与として金一〇〇万円の支払を求める。

二 (申立人中部久雄、同阿谷良子の申立)

申立人久雄は中部クミと次雄の間に生れた子であり、申立人良子は昭和三四年三月四日次雄と養子縁組した養子である。次雄は前記のとおり死亡し、遺産相続が開始したから遺産分割を求める。相続人は右申立人両名と相手方両名の四名であり、遺産は別紙目録記載のとおりである。(中部クミは昭和四三年一二月末までに遺産建物を賃貸した賃料収入として合計金九一万円を収取している。一方同人は遺産建物につき水道・電気・ガス料のはま子とその家族使用分を負担して来た。これらは諸般の事情として本件審判において斟酌して貰いたい。)

三 (相手方らの主張)

(一) 次雄とはま子の協議離婚届出は中部クミが文書を偽造して提出したものであり、また後に裁判により取消された重婚も中部クミの右犯罪行為につづく違法行為である。このように中部クミは重婚が裁判によつて取消されたのであるから同人に財産分与請求は認められない。

(二) 次雄の遺産の範囲については争わない。しかし申立人中部久雄は次雄の子ではない。また申立人良子が次雄と養子縁組したことになつているが次雄はそのような養子縁組をしたことはない。以上の事実は次雄が生前述べていたところである。そうであれば申立人らは次雄の相続人ではないから本件遺産分割の申立は不適法である。

四 (判断)

(一) (財産分与について)

次雄とはま子が婿養子縁組婚姻し、その間に登志子が出生したこと、次雄とはま子との協議離婚届出書が提出されたこと、次雄と中部クミが婚姻し、その間に久雄が出生し、次雄と良子が養子縁組したこと、右協議離婚無効及び次雄と中部クミの婚姻取消の訴が提起され、その判決が確定したこと、次雄が死亡したこと、以上に関する申立人らの主張事実は記録(各戸籍謄本、判決の写、その他)により認められる。

ところで、記録(特に中部クミ、上坂はま子審問)によれば、「はま子と次雄夫婦の仲は昭和二一年頃既に折合いが良くなかつたところ、その頃から一層冷却し、妻のはま子は夫である次雄の世話をしなくなつてしまつた。その頃次雄は中部クミと知合い、はじめはクミがお手伝いの形で次雄の身の廻りの世話をしていたが、やがて両名間に次雄がはま子と離婚した上で結婚することの約束ができて、次雄とクミは夫婦と同様の間柄となり、クミは次雄の世話をして来た。そして次雄とはま子の協議離婚届出書の提出についで、次雄とクミの婚姻届出があり、両名は夫婦生活を営んだ。」ことが認められる。そして右協議離婚届出はクミとその兄が長野県下の所轄役場に提出したものであることは乙第一号証(中部光子の陳述記載)、中部クミ審問により認められるが、右届出書は中部クミにおいて偽造したものと認めるに足りる証拠がないから、その旨の相手方らの主張はたやすく採用できない。のみならず重婚の取消があつた場合民法第七四九条第七六八条により、その一方は他方に対して財産分与を請求できるところであつて、中部クミから次雄に対して違法行為があつたことが明認できるわけでもなく、本件においてはクミの次雄に対する財産分与請求権に影響はない。そうするとクミと次雄との右婚姻終了に基づく右財産分与請求につき一切の事情を考慮して分与させるべきかどうか並びにその額、方法を定めることができる筋合であるから以下これを検討する。

前記認定事実並びに記録によれば、次雄とはま子との婚姻関係が荒廃していたけれども、中部クミとの離婚によつて、次雄の生活は精神的にも日常面でも慰められていたこと、このことは次雄の晩年の財産の保持に少くも役に立つていることを充分窺うことができる。そうであつて見れば、婚姻解消によりクミは次雄に対し幾何かの財産分与を求めうべきものであつて、一切の事情を考慮すると、次雄の死亡に基づき、同人の承継人である相手方両名は共同してクミに対し財産分与として金六〇万円を支払うべきものとし、且つ遺産目録中、五の動産を同人に分与するのが相当である。(久雄・良子も次雄の相続人として同人の義務を承継するが、クミの請求に基づき相手方両名に対してだけ本件財産分与を命じることは許されるものと解する。)

(二) (遺産相続について)

(1) 上坂次雄が昭和三七年一〇月二一日死亡したことにより遺産相続が開始した。同人の遺産の範囲については、別紙目録の通りであることは関係人間に争がなく、記録を調査してもその通りであることが認められる。相続人の範囲について相手方はま子(妻)、同登志子が次雄の相続人であることは記録上明らかである。相手方らは、その主張欄(二)のとおり久雄と良子が次雄の相続人であることを争い、同人らの本件遺産分割申立は不適法であると主張するが、記録にある、公文書たる戸籍謄本によれば、久雄は次雄とクミの間の嫡出子であることの推定をうけ、また良子は次雄の養子である旨記載されているところであつて、記録を調べてみても右嫡出子の推定及び養子縁組が適法になされたことの推定を覆へし、これを否定するに足りる特段の事情があるものとは認められない。従つて、申立人久雄、同良子は次雄の相続人であつて、本件遺産分割の申立が不適法であるとはいえない。してみると相続人はま子の相続分は九分の三、登志子、久雄、良子の相続分は各九分の二となる。

(2) 別紙目録の物件のうち五の動産は前判示のとおりクミに財産分与することとしたから、遺産分割すべき遺産は目録中、一の借地権、二、三の建物所有権、四の電話加入権である。そこでまず右借地権、各建物の位置、形状、価額等を検討するに、記録(就中不動産鑑定評価書)によれば、次のとおりである。「右借地権、各建物の位置、形状は添付図面記載のとおりである。目録一の借地権価額は金一九〇七万七三〇〇円であつて、そのうち(イ)図面ABEFAの各点を直線で結ぶ部分(三〇二・六〇平方メートル)の価額は金九八四万九三〇〇円、(ロ)図面BCDEBの各点を直線で結ぶ部分(二九六・七二平方メートル)は金九二二万八〇〇〇円であり、(ハ)目録二の建物の価額は金一七万七〇〇〇円、(二)同三の建物のそれは金三三万八一〇〇円である。」また目録四の電話加入権の価額は申立代理人において少くも金四万七〇〇〇円であると主張し、他に特段の事情も認められないから、その価額は金四万七〇〇〇円と推認される。そうすると、分割すべき遺産の価額は合計金一九六三万九四〇〇円となる。そこで各相続人の相続分を計算し、本件遺産の種類、形状、現況、各相続人の間柄その他一切の事情を斟酌するときは、前記(イ)の借地権(三〇二・六〇平方メートル)及び(ハ)(ニ)の各建物(目録二、三)を相手方はま子、同登志子の共有(各共有持分はま子五分の三、登志子五分の二)による取得とし、電話加入権をはま子の取得、前記(ロ)の借地権を申立人久雄、同良子の共有(持分各二分の一)による取得とするのが相当である。ただ右計算によると、申立人久雄、同良子が共有取得する分は相続分より金四九万九三七七円多過ぎるから清算金として右申立人両名から共同して相手方両名に金四九万九三七七円を支払わせ、且つ目録二の建物のうち、右申立人ら取得の借地上に存する部分は相手方らにおいて収去すること、申立人ら三名は本件遺産分割により本件建物利用権を失うことになるから、相手方らに対し目録三の建物を明渡すべきものである。(本件不動産の評価は昭和四四年になされたから現在の価額と必ずしも一致しないであろうが、本件は不動産取引の目的に出るものではなく、財産分割の基準にすぎないから、これを用いることとした。)

(3) よつて主文のとおり審判する。

別紙遺産目録及び図面〈省略〉

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